本研究は、コックニー詩派の詩人たちが、アルプスを挟んだ南北ヨーロッパのうち地理的「南」を舞台としてイギリスにおける文化的、政治的改革を主張した詩を謳ったことの意義を考察する。本年度は、前年度において結論として導いた、「南」の外在性が担うロマン主義的コスモポリタニズムをさらに具体的に考察した。 Shelleyらの抱いしいた思想の鍵は、彼らが批判の的としたとされるSoutheyが説いたイギリス的リベラリズムとShelleyらのリベラリズムとの相違にある。例えば、Byronが彼らの創刊したThe Liberalの誌名に使用したliberalの語は、彼が従来から関心を抱いていたスペインの自由党群の独立運動の動向と歩を同じくし、専制政治へ異を唱える自由主義者の思想に基づいていた。しかし、Southeyら保守派は、liberalという語に国外の急進派という他者性の意味を付与し、イギリス国内において伝統的に保持されてきた道徳的、宗教的価値観や国家体制こそが、イギリス的自由主義思想であるとし、liberalの語的反イギリス性を強調した。したがって興味深いことに、リベラリズムは、イギリス的か反イギリス的かという党派的対立によって二つの流れを生み、それは他の語で言い換えれば、「北」か「南」かという地政的構図の位相によって捉えられた。 さらに、Shelleyらは敢えて「南」の詩人たちであるDante、Ariostoや当時のイタリア詩人であるLuigi Pulciらを擁して、「北」の文学的遺産から逸脱する「南」の美学的趣味を生み出そうとした。すなわち、「南」における詩作は、専制政治という、外側から統御しようとする束縛によってでなく、自律的市民に共有される共和主義的精神によって生み出される自由の美学を説くことであったと結論づけた。
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