本研究課題は、女性の活動領域の拡大をめぐるヴィクトリア朝後期の社会的な動きと同時代の文学的想像力が相互に影響を与えあった様相を、多様なジャンルの女性著述家の散文から解明することを目指すものである。性病防止法撤廃運動の中心人物であるジョゼフィン・バトラーは、これまで活動家として捉えられてきたが、「抗議と抵抗の文学」とも呼ぶべき多くの著作物を残した。また、ソファイア・ジェックス=ブレイクによる英国女性医師の誕生をめぐる闘争劇は、英国社会特有の女性蔑視の根深さを物語る。しかし、彼女の活動によってロンドンに女子医学校が開校されると、女子医学生や女性医師をヒロインとする小説が登場し、彼女たちは文学的イコンとなる。現実にそうであったように、文学的想像力においても女性医師は、英国、そして帝国の女性の身体の守護者として表象されていく。性病防止法から女性医師の誕生という社会的動きのなかで、女性たちが連帯し、自らの身体を回復する政治的な声の獲得の過程とその戦略性を具体的に明らかにしたい。さらに、世紀末の〈新しい女〉小説家によって、活字媒体は結婚制度と女性の性をめぐる政治の討論の場と変わる。だが一方で、医師で作家のアラベラ・ケニーリーは優生学の見地から、女性の性を「母性」に吸収させてしまう。世紀転換期の女性表象の揺れ動きを考察し、女性表現に隠された社会・国家との争闘、あるいは共謀の痕跡を読み解くことを目指す。
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