アイルランド出身の小説家ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』をめぐり、都市という側面からの解読を試みた。研究課題は「『ユリシーズ』の創作に及ぼしたトリエステ、チューリヒ、パリの影響」であり、今年度は都市のうちでもとりわけパリを中心に考察することとした。ジョイスは第一次世界大戦後にチューリヒを離れ、1920年にパリに移り住んだ。そのころのパリには、多くの芸術家が世界各地から群がり、様々な芸術運動が開花していた。そして文化人類学、絵画、映画、心理学、科学、哲学といった分野においても、これまでの思考様式を大きく覆す思想が誕生していたのである。『ユリシーズ』創作中のジョイスにとって、パリへの移住はきわめて幸運であった。『ユリシーズ』の出版はパリであったし、『フィネガンズ・ウェイク』の完成もパリでのことであった。そのようなパリにおいて、ジョイスは『ユリシーズ』の第15挿話の創作から開始した。そのため、本年度はこの挿話を中心に、その背景をたどることにした。これは劇形式の挿話であり、チューリヒで経験した表現主義のみならず、ほどなくパリで展開するシュールレアリズムの運動も察知していたらしい。アンドレ・ブルトンの「宣言」は1924年のことであるが、表現主義や精神分析といった地平から、ジョイスはシュールレアリズムの流れを先取りしていたと思われる。ストリンドベリやハウプトマンについての意識もあったであろう。成果については、論文としていくつか発表した。
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