本研究では16世紀イングランドのケンブリッジ大学、及びオクスフォード大学における学生演劇の文化史的、演劇史的な意義を一次史料に基づいて再構築し、その全体像を描くと共に、両大学の学生演劇文化が、ロンドンや地方都市の商業演劇にどのように接ぎ木され、展開していったかを明らかにした。 その際、ノリッジにあるノーフォーク記録文書館及びケンブリッジ大学古文書館において、とりわけ1570~80年代の史料を調査し、地方都市と学寮との密接な関係だけでなく、人物同士の関係の解明に資するような史料を発見し、それに基づいて、従来の演劇史家が着目しなかった横軸、すなわち人脈の繋がりを可能な限り明らかにした。それと同時に、大学演劇に関わる者達の間に流れるイデオロギーや、演劇を通して発生する政治的対立を射程に収め、そこから商業演劇への繋がりを明らかにすることで、商業演劇の政治宗教性を学生演劇文化から再考することができた。 またロンドンの商業演劇を保護していた枢密院顧問官や枢密院の議事録について調査を行うとともに、二次文献の渉猟を行い、とりわけ枢密院と強い関係があったことで知られる劇作家たちが、どのように大学演劇文化の商業演劇的展開に関わったかを考察した。その際、地方出身の劇作家たちが、その血縁や地縁を頼りにして繋がり、そのネットワークが枢密院のパトロンにまで及ぶ繋がっていく様子を明らかにした点は、本研究の最大の特色であり、独創的な点である。 これによって本研究は、イギリス演劇史の空白部分を埋め、大学演劇文化が商業演劇の展開に果たした役割の重要性を再認識するのに大きく貢献したと考えられる。
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