研究概要 |
20年度においては、異教的性愛の擬人化=寓意としてのウェヌス像が、キリスト教中世盛期から15世紀末に至る時代のテクストおよび図像表現においてどのような変容を遂げていったのか、そしてウェヌスの息子神アモルのイメージはこの変容とどのように関わっていたのかという問題を、恋愛をめぐる道徳観の変容、そしてその背景をなす都市の発展とからめて概観した。その際、中世における<愛>の寓意的婦人像Frau Minne(あるいはネーデルラントにおけるVrouw Minne)とウェヌスとの関係、およびこれらと「世俗婦人」(Frau Welt, Vrouw Wereld)との関係についても分析し、古代において道徳的価値とは無縁の性的自然豊饒神であったウェヌスのイメージが、中世の経過するなかでキリスト教の性的潔癖を貴ぶ教義によってのみならず、商業(流通)にネガティヴな姿勢を堅持する教義によっても断罪されるようになったこと、つまりウェヌスの豊饒が、中世都市の発展とともに商品流通的豊饒イメージと結びつき、ウェヌスの娘たち(と呼ばれた商品化され流通する交換可能な娼婦たち)のイメージをも伴って、奢侈や財産の蕩尽の根源と考えられようになったことを跡づけた。またこの関連で、中世の説教で繰り返し説かれた七つの大罪の一つ「放縦(ルクスリア)」が、財の蕩尽からむしろ性的な快楽追求を誡める教訓となっていくプロセスを示した。現在は、中世寓意文学生成の一つの有力な起源として知られるプルーデンティウスの『プシコマキア』(魂の闘い)やこの伝統に立つ十二世紀のランズベルク『快楽の園』など道徳的寓意におけるルクスリアのイメージ展開をも含めて、論文執筆に取りかかっている。
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