ファン・フェーン『愛のエンブレム』の読者は、図絵と短詩の意味について吟味し、エンブレムの典拠を調べ、エンブレムに自らのテクストに書き加えることを強いられているという仮説を立てた。この仮説は、グラスゴー大学古文書館での閲覧調査したフランス詩人1'Hermiteの手稿詞を照合することによって確実となった。まずこの手稿は『愛のエンブレム』と語句や主題レベルで対応しており、しかも『愛のエンブレム』の背扉をバラバラにして各エンブレムに対応するように再製本されていた。読書→触発→創作という流れは事実と断定できた。 この流れはミクロレベルにおいて実現するよう本書が構成されていることに、本書全訳の過程で発見した。エンブレムの一部には銘題の出典としておもに古典の著者名が挙げられている。典拠をあたってみると、銘題は典拠とはまったく異なった文脈で違って意味で使われており、しかも銘題のラテン語は原典の単語を数語入れ替えられている。読書→創作の流れにおける創作者は、典拠を挙げるといった形による、自らの主張の正当性の担保(自分よりも上位の権威との自己同一化)するというよりは、典拠からの創造的逸脱による自作のユニーク度を誇示する個性に遙かに関心があることが、浮上してきた。この態度は、フェーンの師であるツッカロが、神の創造行為の過程についてのアクィナスの論攷から類推した「内なる意匠」という理念に対応している。
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