ファン・フェーン『愛のエンブレム』の読者は、図絵と短詩の意味について吟味し、エンブレムの典拠を調べ、エンブレムに自らのテクストに書き加えることを強いられているという仮説に基づき、ここで読者に要請されている創造的読解は、芸術家ツッカリの「内的意匠」に根ざしていると推測した。 「内なる意匠」(interno disegno)とは、パノフスキーによって、15世紀から16世紀前葉まで芸術表現において支配的であった自然を模倣する写実主義に対して、芸術家が神によって授けられた想像力を駆使し自然を創造的変えて、あるべき姿(idea)を表現する行為全体を指していると説明されてきた。しかしフェーンに先立つエンブレム作家たち(16世紀後半)が、フェーンと同様に古典からの出典に意図的に創造的改変を加えており、「内なる意匠」はエンブレム文学に関していえばすでに15世紀に自覚化されていた事実をつきとめた。そしてこれら作家たちによる創造的改変の基本理念は、フェーンと異なり古典の再生(rinascita)にあるが、フェーンと同じく(1)古典のいわば写実的模倣(imitazione)ではないこと、(2)創造活動の成果が実生活における有用性に圧倒的な重心を置くことが浮上してきた。 この対比において、読書→創作の流れにおける読者は、(1)典拠からの創造的逸脱に知的高貴さを認め、(2)逸脱によって現前化するイメージと概念との間を振り子のように往還することを強いられることが明らかになった。このうち(2)は、読者に日常生活において出会う事柄や物事に対しても、創造を介したイメージと概念との付与を強いるよう機能する。これは、救いの確かさという概念を参照枠として、日常生活で出会うイメージを読み替えるカルヴィニズムの精神性と軌を一にしていると関連づけられる。この成果の一部はWebページ上に公開した。
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