昨年度末にドイツ文化ゼミナールで口頭発表した原稿に基づいて、"Hybride Schnorkel oder rein asthetische Arabesken? Jean Paul in der Ornamentdebatte seiner Zeit"を執筆した(論文集は2011年刊行予定)。ジャン・パウルの同時代批評に現れるアラベスク文様の比喩を手掛かりに、1800年前後のドイツにおいて美的領域が拡大する一方、その周辺領域で生じたある種のオリエンタリズムを確認した。また、カントから初期ロマン派への流れの中で展開される芸術の自律性をめぐるディスクールに現れるアラベスク=イメージを、ジャン・パウルの機知論に接続することによって、ジャン・パウルのロマン派批判の射程と詩的表現としてのナンセンスの可能性を明らかにした。『死をどのように言い表すのか』(1774)については、昨年度の成果を敷衍するという見通しの下、ヘルダーのレッシング批判の検討に着手した。しかし、その作業の過程で、同時代のアレゴリーをめぐる論争に行き当たり、計画に若干変更が生じた。ヘルダーの『寓話論』(1787)、K・PH・モーリッツのアレゴリー批判(1789)、ゲーテの象徴論を参照することによって、ヘルダーのレッシング批判におけるアレゴリーの意味づけを考察する作業が進行中である(研究期間3年度に成果発表を予定している)。ヘルダーの『カリゴーネ』(1800)とバウムガルテン受容の研究も進行中である。当初計画では、ジャン・パウルの『フィヒテの鍵』(1800)との関連で『カリゴーネ』論をまとめる見通しだったが、同じカント批判とはいえ、背景にかなり大きな差異があるのではないかと考えるようになった。
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