『ジャン・パウルは死にどのような形をあたえたのか』(第III報)を出し、本研究課題を通して書き継いだ論文を完結させた。18世紀ドイツ啓蒙主義は、世界の諸現象、心理現象に光をあて、視覚化しようとするプロジェクトであった。しかしまた、視覚化されないものをどのように考えるかがテーマになったのも、この時代である。本論は、レンズのメタファを手がかりに、スウェーデンボルグの幻視が、視覚化のプロジェクトの枠の中に位置づけられること、この点では、カントのスウェーデンボルグ批判(『視霊者の夢』における、霊界との結びつきを否定する「世俗哲学」)に通底していることを明らかにした。さらに、ヘルダーの『彫塑』、『イメージ、詩、寓話について』を取り上げ、視覚化されないものが想像力の作動の契機とされていることに着目し、この観点から、ジャン・パウルの『死したキリストの語る神はいないとの演説』に描かれた終末論的情景が、作者の意図とは関わりなく、スウェーデンボルグの幻視と対極にあることを示した。 また、『フロイトの機知論とジャン・パウル「美学入門」』では、ジャン・パウルの機知論において、無意識がどのように捉えられ、どのような働きをしているのかを、フロイトの機知論を参照しながら、考察した。ジャン・パウルの機知論は、美的な効果を主題化することによって、類似を発見する能力としての機知という伝統的な定義にはない観点を提示した。しかし、『美学入門』において無意識が問題になるのは、物質と精神の間に類似を発見する能力としての機知、つまり、伝統的な機知概念の枠内においてであった。ジャン・パウルには、「抑圧」概念が欠けていたため、無意識と機知の関係を理論化することができなかった。
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