ふつう3つの時期に区分されるフェヒナーの生涯(第I期:生誕-1840年-第II期:1840-1843年、重篤な神経症との闘病期間/第III期:1843年以降、病気克服ののちに神秘主義的な著作を爆発的に産み出していった晩年期)のうち、特に第II、第III期におけるフェヒナーの思想と著作の分析を当初の目標とした。それに関し二つの大きな成果を得た。(1)科学研究費補助金による海外出張(平成21年8月8日-同17日)。ドイツ連邦共和国ライプツィヒ大学所属の「フェヒナー協会」を訪れ、同大学文書館ならびに図書館、および「フェヒナー協会」本部(心理学研究所)で日本では入手困難な文献の調査および収集を行うことができた。また「フェヒナー協会」会長マイシュナー=メトゲ博士に、ドイツにおけるフェヒナー研究の現状や動向をうかがうとともに、今後の研究へのアドヴァイスをいただいた。(2)日本独文学会全国大会におけるシンポジウムの企画・司会・発表。「神秘主義的世界像と自然科学-もうひとつのモデルネー」をテーマとするシンポジウムを他3名と企画し、司会と発表を行った。19世紀中葉から20世紀前半のドイツ語圏に現れたいくつかの神秘主義的世界像を取り上げ、それらを当時の自然科学との関連において定位することによって、「モデルネ」を別様の光の中に浮かび上がらせることを目的とするこのシンポジウムで申請者は、自然科学的な合理性が世界把握の原則として絶対的な優位を占めていた19世紀の半ばに「魂は物理的に計測できるか」という問いを立て、実証主義的自然科学と、独特な神秘主義的信仰の間に整合性を見出そうとした思想家としてのフェヒナーを取り上げた。フェヒナーが、一般には非科学的とされる神秘主義的世界像と当時の実証主義自然科学的世界像の両者を架橋しようとして一身に体現したモデルネにおける「きしみ」を描出することを試みた申請者の発表に関しては、盛んな質疑応答があった。
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