ふつう3つの時期に区分されるフェヒナーの生涯(第I期:生誕-1840年/第II期:1840-1843年、重篤な神経症との闘病期間/第III期:1843年以降、病気克服ののちに神秘主義的な著作を爆発的に産み出していった晩年期)のうち、本年度は第II期から第III期へ移行する時期に焦点を当てた。具体的にはフェヒナーの生命をも脅かした重篤な神経症に関するこれまでの研究を渉猟し、主要な病因の一つとして「ホーリスティックで調和的な世界把握(自然哲学)と、個別的で数学的・経験的な世界把握(自然科学)の分裂と葛藤をフェヒナー自身が体現していること」がある、という申請者(福元)の仮説を支持するいくつかの文献を紹介した。また晩年に神秘主義的な著作を次々と発表していくにあたって、それらの劈頭をかざる画期的な著作となった『ナナ、あるいは植物の魂の生活について』を詳細に分析し、フェヒナー独自の「植物有魂論」に関する1.自然科学的根拠、2.美的根拠、3.目的論的根拠を指摘した。「植物有魂論」はフェヒナー以前からの伝統があるが、フェヒナーのそれは自然科学的な根拠を模索しながらもきわめて詩的・文学的な、やはり分裂や葛藤を体現したものであった。それゆえ『ナナ』は、例えばシュライデンなどの実証主義的な植物学者からは、厳しく批判された。「植物有魂論」は必然的に、「魂」の存在自体を承認するか、また「世界は魂に満ちているのか」という形而上的で自然神学的な問題へと移行する。独特な思想家フェヒナーを特定の系譜に定位することができるとすれば、スピノザから発するロマン主義的自然神学の後裔ということになるであろう。フェヒナーは「遅れてきたロマン主義者」だったのである。『ナナ』に関してはまた、その出版年がドイツに「三月革命」が勃発した1848年であることに注目し、まったく非政治的に見えるフェヒナーおよび『ナナ』とドイツの政治的混乱とのひそかな関連に言及した。
|