最終年度は、資料の分析と執筆の準備に多くの時間を割いた。ヴェルステガン『残酷劇場』などに描かれた、内蔵の消化機能に対するプロテスタントの異常な執着に関しては既に分析済みなので、その延長線上に、テオドール・ド・ベーズら、・さらに過激な聖体拝領批判を行っている信教側の著作家や神学者の発言に注目した。特に、カルヴァン派の兵士たちが、聖餐の「摂取」によって、人間の腹部に何らの「実体変化」も生じていないことを、腹部切開という儀礼的拷問の繰り返しにより確認している点を押さえた上で、この「神食」の無効性を、今度はスカトロジーと結び付け、拝領するパンとワインが、「ごく普通の汚物」として排泄される様を、滑稽に描き、聖体拝領を愚弄する信教側の言説に注目した。具体的には、アグリッパ・ドービニエの『反・実体変化論』やテオドール・ド・ベーズの『教皇庁料理のキリスト教的調刺』を詳細に調べ、「聖体を拝領しても、出てくるのは汚らしいウンチだけ」といった主旨のスカトロジック極まりないジョークを発し、それが、印刷物として広まり、人口に膾炙するに至った経緯について、かなりの程度明らかにできた。その成果は、2011年10月9日に小樽商科大学で開催された日本フランス語フランス文学会のワークショップで発表した。その後、「神を食らう者」が「食らわれる偶像としての『肉と血』」を、永遠に同化吸収できないとする「理論」が、新教側の残酷な腹裂きの刑を支える根拠となった点も明らかにしつつある。 同時に、こうしたスカトロジックな技巧の駆使は、ラブレー『第4の書』に登場する大食漢の怪物「ガステル宗匠」の疑似神格化、およびそれを皮肉るスカトロジックなジョークの組み合わせと、驚くべきほどの相似形を描いている点にも気付かされた。ラブレーの後期作品が、皮肉なことに、新教側の攻撃材料に大いなるヒントを与えた可能性を明らかにしたのは大きな収穫である。
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