1934年の2月6日事件は人民戦線内閣誕生の契機となった政治的大事件であったばかりでなく、作家たちの急速な「政治化」を促した文学的大事件でもあった。これまでこの事実は、事件を機に決然と政治参加の道に踏み込んだブラジヤックやドリュ・ラ・ロシェル、アンドレ・シャンソンらの例を引き合いにして語られることが多かった。だが2月6日事件が大事件であった証左は、政治闘争から徹底して距離を取ろうとした作家たちの微妙な態度変更の中にも見て取ることができる。モンテルランやロジェ・マルタン・デュ・ガールは、文学者の独立(非介入主義)に飽くまでも拘り続ける一方、将来的な政治参加の可能性に含みを持たせるようになるのである。文学史における2月6日事件の重要性を確認する以上の基礎的研究内容は、平成21年度発表の仏語論文(執筆済み)で公けにする。 本年度はまた、先に挙げたシャンソンの政治参加の決断と、その決断が引き起こした精神的危機について分析を進めた。2月6日事件後に反ファシズム闘争に加わり、また作家の政治参加を当然の義務と説くシャンソンではあったが、その一方、行動が作家のあるべき姿と背反するという意識を捨て去ることはなかった。そうした内的分裂がはからずも露呈しているのが、2月6目事件を機に政治活動に身を投じる人物たちを描いた小説『懲役船』(1938)である。この作品の分析を軸に文士シャンソンと闘士シャンソンの葛藤を浮き彫りにする論考の執筆は、平成21年度の課題としたい。 なお本年度は当初、2月6日事件がアンドレ・ブルトンおよびシュルレアリスム・グループに与えた衝撃を集中的に分析し、その成果をまとめる予定であった。ただし発表する論考間の順序と連携を考慮し、以上の研究を先行させることとした。
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