ローマ最大の哲学者キケローの政治哲学と法哲学を定評ある研究文献をほぼ全て視界に置いて論究すると同時に彼の裁判弁説の具体的内容を刻明にたどり、いかなる政治的かつ法的な理念と抱負で、困難な裁判闘争を断固として引き受けたかをこの論究に連関づけた。被告の運命は弁護人が複数いても、常にキケローの弁説の説得力にかかっていた。このことも裁判弁説の数々の精細な追考によって明らかにした。そしてキケローの裁判弁説を歴史的、時代的に理解する為に、ローマ法にも十分研究書を大いに用いて向った。ローマ法はローマ人の精神そしてそのギリシアとは異質の特質を示すものであり、哲学者キケローの哲学者的存在性(あり方)を捉えるには、ローマ法の森の中をつらくても歩み行かねばならない。法という現実的対処を哲学者キケローは哲学の中に細やかに入れ込んでいたことも私は論述し、著作化した。 私は、長らくギリシア哲学の代表者プラトンとアリストテレスをテオリアとプラクシスの統合という問題から考えてき、著作を三冊著した。ローマ哲学のギリシア哲学からの影響は決定的であるが故に、ギリシア哲学の誠実で細やかな研究(原典と研究文献の熟読とそれらへの対話的対決)がなければ、ローマ哲学のそしてローマ最大の哲学者キケローの哲学の真の把握はできない。また、ローマ人のギリシア人にない現実性、実践性についても、その独自な創造性を汲み上げる意欲がないと、ローマ哲学はその深さと高さが浮き出てこない。日本では、ここが今もって疎かになっている。 私の仕事は日本の哲学をヨーロッパ哲学のプラトン、アリストテレスと並んでの根源力であるキケローに光を当て、彼の重要性を見出すことであった。しかもこのことは近現代のヨーロッパの哲学にもしっかり切り結ぶ広い学的姿勢が不可欠である。このことも私は本格的に課業ともしてきた。20世紀の政治哲学のキケロー的な視界を世に示してきたつもりである。
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