神話解釈を通じて、欧米の人間中心主義的な合理主義を批判する点で共通の基盤に立ちながら、A.ボイムラーはヘーゲル的啓蒙主義からファシズムへと政治的・思想的立場を変え、一方Th.マンは保守主義から民主主義へと逆向きのコースをたどった。両者の思想的展開の交点を示す指標が、バッハオーフェン選集『東洋と西洋の神話』に寄せたA.ボイムラーの序文「ロマン主義の神話学者バッハオーフェン」であり、またそれに対するTh.マンの批判である。「序文]中のホメロス解釈を分析することを通じて、A.ボイムラーの神話観とそれを踏まえたロマン主義概念を調査し、それに対するTh.マンの反応を明らかにすることで、神話とナチズムと民主主義との間の錯綜した関係にメスを人れることを研究の目標とした。 研究成果として明らかになったのは、A.ボイムラーはホメロス世界の快活さの背後に、その前史として墓を中心とした先祖崇拝の祭祀を想定し、後者をロマン主義と関連付け、しかも前者より価値的にすぐれたものと評価している点である。とはいえ、それを論証するA.ボイムラー文体は、その時点での価値的判断を保留するイローニッシュな特徴をもっており、最終的には全体的な整合性を欠いている。というのも、彼の神話解釈とロマン主義解釈はナチズムに通じる非合理主義を志向しているが、それを踏まえて展開されるバッハオーフェンの「母権制」解釈は、従来の彼の立場であるヘーゲル的啓蒙主義に立脚しているからである。この意味で「序文」にファシズム的野蛮の兆候を見て取ったマンの批判は半ばは当たっており、むしろマンのファシズムに対する洞察の鋭さを証している。 今後は「序文」のなかでホメロスの続いて扱われるギリシア悲劇解釈を調査分析し、ニーチェとも比較しながらA.ボイムラーの神話観の全体像を明らかにし、そのプレファシズム性を測定する。
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