本研究は、江戸時代末期に長崎にもたらされた中国の伝統演劇が、『明清楽』とよばれる音楽の楽譜のかたちをとりつつ伝存していることに注目しながら、そうした作品が中国伝統演劇史の中でどのような位置を占めるのかを明らかにしようとするものである。「明清楽」とは、江戸末期から明治初期にその伝習が流行した中国音楽であり、民謡、俗曲を中心としているが、その中には明らかに伝統演劇に由来すると考えられる作品を含んでいる。このことは、実は大きな意味を持っている。というのも、これらの演劇が伝えられた19世紀前半は、中国の伝統演劇がその姿を大きく変えようとしていた時期であったからである。すなわちいわゆる「雅部」、すなわち崑曲に代表される楽曲系演劇が衰退し始め、かわっていわゆる「花部」、詩讃系演劇を中心とした今日の京劇をはじめとするさまざまな地方劇が勃興してくる時期である。中国演劇史の研究の上で、従来ほとんど注目されることのなかったこうした作品群を、中国演劇史の大きな流れの中で、「花部」の演劇である乱弾戯として位置づけて考えたいというのが本研究の目的である。 本年度は、こうした作品の一つである《林冲夜奔》について、テキストの校訂ならびに、その内容についての考察を行った。また、日本側の資料として極めて注目すべき大田南畝『瓊浦随筆』中に見える記事に見える、19世紀初頭の長崎において上演されていた中国演劇の題目について、細かく検討し、それらのうちの多くが浙江乱弾の中に今も保存されていることを確認し、浙江省文化芸術研究所を訪問の上、それらの演目について資料調査、意見交換を行った。
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