研究概要 |
本年度は、ハンガリーを中心に、近代における中東欧地域の民族言語運動を、近世からの流れの中でどのように変容していったのかに焦点を当てて、その共通した傾向や性格を検証した。 近代初期までは民族言語が世俗化・民衆化する過程であり、庶民がそれまで手の届かなかった教養を手にできるように知識人たちが民衆の母語に目を向けた時代であり、民族語で書かれた聖書の翻訳や啓蒙的教養書というパイプを通って,宗教・教育・文化が社会階層の違いを超えて人々に浸透していったことが特徴づけられた。 その後18世紀末頃から活発化する民族文化運動は,19世紀に入って民族的自治,ひいては国民国家化をめざす政治運動へと発展する。知識人たちは、各々が1言語を背負う「民族の代表者」の役割を持つようになり,しだいに民族語間の排他的な衝突が生まれるようになった。また、ハンガリー語とハンガリー王国内の少数民族言語の関係で見ると、近代後期、特に二重君主国の時代に経済的発展を遂げ、言語的文化的ハンガリー化政策を進めたハンガリー人に対し、連邦構想がとん挫したスラブの諸民族などの反発はますます強まった。民族言語運動は、多民族帝国の崩壊と国民国家創設の道へ進むこととなったことが検証された。 以上の結果について、「「民衆のために」から「民族のために」ベー近代の民族語運動」と題する論考にまとめた(大津留厚編『ハプスブルク入門(仮)』収録予定)。
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