古代語の分詞的用法の採集と分類によってタリの排他的優勢を論証し、中世以後の過去辞のタリー極収束の原因を突き止める。万葉集に代表される奈良時代語資料においてキ・ケリ・ツ・ヌ・タリ・リの過去辞の中で分詞用法に組織的に介入できるのはタリだけであった。平安時代以後上記の過去辞が全体的に分詞用法に介入できるようになった。しかし、タリが過去分詞用法に単体で介入するという顕著な性格を持つのに対して、テンス形式であるキ・ケリが分詞用法に介入する場合「アリケル、ナリケル、ザリケル、カリケル」のごときアスペクト諸形態と共起する傾向が強く、単体での分詞用法の増産が抑制されていた。リは、文脈から項を引きこむ性格が前代に引き続いて濃厚であるが分詞用法もある程度進出し、上代からある無標識分詞(咲く花)、現在分詞(咲ける花)、過去分詞(咲きたる花)のユニークな鼎立関係が確立した。また、古代語では分詞に転用される動詞は自動詞に偏っていたが、平安時代以後漢文訓読の影響で受け身助辞を介入させて「殺されたる人」のように自動詞に転用する表現が開発され、その際にもタリ介入例が圧倒的優位を占めた。古代語における分詞用法に介入する過去辞の中でのタリ単独介入例の優勢が、中世以後の過去辞における「タ(ダ)」一極収束の原因になったことを展望し、論証する。
|