本研究は、日本語史上において、シラブル言語からモーラ言語への転換が中世期に起こったという有力な学説に対し、その論理的根拠を批判的に検証し、新たな通時的見通しを述べようとするものである。普遍的なシラブルとは別に時間軸に沿って音を数えるモーラの単位の獲得が新しいのは当然としても、その転換期を文献時代の中世期に擬することの主たる根拠は、現代方言の地理的分布や、古代語に特徴的に見られるとされる母音に関する音素配列規則(いわゆる母音連続の忌避)、そして古代和歌の字余りの様相であり、はたしてそれが根拠たり得るかについては検証が必要である。ここでは特に和歌の字余りに焦点を当て、プロソディを扱う言語学的な韻律論と日本語音韻史の成果、およびミーターを扱う文芸的な韻律研究の統合的研究から、新たな論理の構築を目指した。 日本語のリズムは基本的に2音で1拍(1フット)を形成すること、また、和歌・俳句等の伝統的韻文形式における5音・7音の配置の根底には8拍分のリズムを3拍または1拍の休拍を残して埋める4拍子のリズムがあることが古くより指摘されている(所謂「2音1拍4拍子論」)。筆者はこの観点を日本語の音節構造の史的研究に組み入れ、古代和歌の字余りの様相は基本的に近代極初期まで継続すること、したがってもともと根拠の薄い和歌の唱詠法の変化を強いて求める必要のないことを実証している。 本年度は、字余りと音韻史の関係を、万葉仮名から仮名へといった表記システムの転換、韻文資料に偏する上代語資料の特性、あるいは、ハ行転呼や撥音・促音の音韻論的確立といった韻律単位に関わる新たな変化などをふまえつつ掘り下げていった。また、近代初期の短歌を中心に、唱詠から律読へという詩歌享受方法の変容と字余り分布の変化の関連も分析した。
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