本研究の課題は、梵字資料によって日本語の歴史的展開を従来の研究にも益して詳細に闡明せんとするものである。そのためには基礎資料となる梵字資料の収集を広く行う必要があるが、研究開始時点で既に約500点の資料につき基礎データを蓄積しているが、これらは残存資料の一部に過ぎず、また、資料ごとのデータそのものも十分ではない。本申請は3年計画でその梵字資料の不十分な部分の補充を行いつつ研究課題の追究を進めようとし、最終年度は引き続き近畿地方の諸寺の梵字資料の調査を遂行した。高山寺、東寺及び石山寺各寺では胎蔵界・金剛界両界儀軌作法次第の調査、大般若経陀羅尼の再調査、法華経の梵字資料の調査により、データベースの補充と陀羅尼の音読の分析が進捗した。 前年に一応調査した高山寺蔵の「法華経陀羅尼梵本」の法華経梵字陀羅尼及び不空訳の「妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌經」所収の法華経梵字陀羅尼の分析が進み、法華経の陀羅尼梵本の原姿の復元及び本邦に於ける法華経陀羅尼読誦の実態が一応究明された。法華経陀羅尼のもうひとつの問題として、音義に於ける取り扱いであり、この扱い方等よって陀羅尼の音読がどの様に変遷したかが分かる。平安初期の「法華経釋文」以後、平安末期の「法華経音」「法華経単字」、鎌倉時代以後に成立した諸音義の陀羅尼字の扱い方を分析した結果、その扱いが、背後で進行した陀羅尼音読の和化を極めて良く反映したものであることが明らかになった。 3年間を通じ、平安中期まで陀羅尼が梵語音の原姿を留めて日本で学習されていたことが確認されることになった。平安中期から梵語音が和化を進めて行くが、梵語音と日本語音の馴化の手段として日本側の僧侶によって梵語にある有気音の記述に双点が発明されたり、濁音記述のために濁音字母や濁点が発明され、更に拗音の記述や撥音韻尾の記述の工夫が順次整えられていったことを確認することが出来た。
|