日本近世の地域社会に生きた「簓」 (ささら・万歳楽の担い手)や「猿引」という芸能者集団、「癩者」などの社会的弱者や「非人」など、村や町に居住しながら、百姓・町人とは異なる身分に属す諸集団の実態を明らかにし、こうした小身分集団の視点から地域社会を総体的に把握するという本研究の目的に即して、平成20年度は次の研究を実施した。まず、飯田藩における「非人」や身分的周縁の組織を検討するために、飯田城下における「谷川之者」 (牢守と非人)、「簓」、「非人」に関する史料を探査・収集した。さらに、「猿引」と地域社会との関係を明らかにするために、飯田藩領である信濃国下伊那郡下市田村(現、高森町)を素材として名主をつとめた中村まさ子家文書の分析を進めた。以上を総合して、2009年9月7日に大阪市立大学で開催されたシンポジウムにおいて、「信州下伊那地域における身分的周縁-飯田藩牢守と諸集団との関係-」という口頭報告を行った。また、「『簓』-周縁化された人びと」 (『アナール』寄稿論文)を脱稿した。本研究により、中世以来在地に居住していた竹細工製作を行う「簓」の人びと(夙)と近世の「簓」・「牢守」・「非人」との連続性を考察し、17世紀後期の飢饉を契機に、飯田藩が御救い小屋を設置し、その管理を任せる過程で「非人」・「牢守」身分が成立する一方で、公的には「非人」身分としては捉えられないものの、「百姓」身分とは区別・差別化された周縁的な集団として、「簓」や「猿引」が存在し続け、多様な人びとの関わりにより、地域社会が構成されていたことを指摘した。
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