当該年度は、「橋のない川」(今井正監督作品第1部1969年・第2部1970年、東陽一監督作品1991年)の分析を中心に行い、その成果を2008年12月に行われた京都大学国際シンポジウム「変化する人種イメージ-表象から考える」において報告した。それは、その映画作品をつうじて、<見えない人種>すなわち被差別部落の人びとの表象のあり方を考察しようとするものであり、その結果、以下の結論を導き出した。すなわち今井作品は、観客がいかなる「部落民」像を抱くかという点はとりあえずさておき、もっぱら部落差別の残酷さを強調することによって人種主義を克服するという展望に立っていたのに対し、部落解放同盟が主体となって新たに制作した東作品は、作品の受容者が人種主義にとらわれることのないように、〓あたりまえ〓の日常をおくる部落民という表象を意識的につくりだし、一方で現実に存在する人種主義の眼差しを糺すべく差別のありさまを執拗に描いた。この東作品のなかにみられる、差別の徴表を取り除きあたりまえの「部落民」であることを打ち出したい、ないしはその「部落民」という境界さえもとり去りたいという意識と、他方、現実に存在する人種主義を前にそれを告発し、またそのためには「部落民」というアイデンティティが必要とされるというディレンマは、今もなお存在しつづけているのである。 当該年度は、国際的なレイシズム研究との比較や、他のマイノリティの表象のありようについても、そうした国際シンポジウムの場などをつうじて行うことができた。映画製作の背景などに関する資料の悉皆調査や他のマイノリティに関する資料収集は、いまだ不十分なままとなったので、その点を次年度の課題として行いたい。
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