中国を起源とする漢方や鍼灸は、日本で独自の発達を遂げた。とりわけ腹診は、腹部の触診によって病気の全体像を把握する診断法で独自性が強いが、その歴史的経緯は十分に解明されていない。本研究の目的は、漢方腹診書および腹診を多分に含む鍼灸流儀書の現存情況を調査し、現存史料を書誌学的に分析して、日本腹診史を解明することである。 蒐集した漢方腹診書の通覧により、日本腹診史は起源(鎌倉~戦国期)・変遷(江戸期)に大別するよりも、萌芽期(鎌倉~南北朝)・形成期(室町~江戸初期)・発展期(江戸前~中期)・完成期(江戸後~末期)の4区分に改めた方が史実に則しているとの認識に至った。そもそも、腹診という用語自体、1700年前後の和製の漢語である可能性が浮上してきた。一般的に、用語の成立と概念の確立とは不可分であり、腹診という専門用語の定着と、腹診という診断技術の発展は相補的な関係にあることが示唆された。史料の書誌学的分析は、発展期を代表する『百腹図説』『五十腹図説」を中心に行い、古方派から後世方派へ転向した常陽の郷医・山田甫庵とその学統の間で、限局的に伝授された彩色図譜であることが判明した。 また、日本独自の流儀である小児鍼も歴史的経緯が未解明で、明治維新以前の専門書が皆無のため、腹診よりも歴史研究が困難といえる。そこで、日本腹診史解明の補助作業として、新たに小児科書・外科書を調査対象に加え、蒐集した鍼灸流儀書の関連条文と交えて分析した。その結果、小児鍼の鍼具は乳幼児の〓血を刺絡する錐状の鋒鍼や磁器の破片を起源とすることが判明し、現在普及している摩擦による鍼法は小石を用いた小児按摩の変法であることが示唆された。小児鍼の史料基盤は、明治維新以降の内部発行・少部印刷の著作や雑誌の記事が大半を占めるため、情報収集は容易でない。今後の研究環境の整備の一環として「日本小児鍼文献一覧」を作成する必要がある。
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