2008年度は初年度にあたり、義経・田村麻呂関係の資料・文献を複写あるいは図書購入によって収集することに努めるとともに、義経・田村麻呂伝説が語られる場所(北海道日高地方、青森県三厩周辺、青森県八戸市・久慈市周辺、岩手県平泉町周辺、茨城県古河市・埼玉県栗橋市)の巡見を行い、デジタルカメラで撮影した。また、菅江真澄と松浦武四郎の著作から義経・田村麻呂の伝説に関する記事を抽出し、パソコンに入力した。これらの作業によって2009年度以降の本格的な分析・考察の足固めができた。 いくつかの論文作成のための準備を進め、そのうち、2008年度には青森県三厩の観世音縁起を素材に、義経蝦夷渡り伝説の地方的展開のありかたについてケーススタディを行ない、公表した。そこでは、義経が三厩から北海道(松前)に渡ったとする言説がいつ頃から登場してくるのか考察するとともに、三厩の義経伝説に関する4つの縁起、すなわち(1)延宝元年(1673)の年号が記された「延宝縁起」、(2)元文3年(1738)頃と推定されている「略縁起」、(3)菅江真澄が天明8年(1788)に聞いた「足羽観音物語」、(4)寛政11年(1899)の秦檍丸の改作縁起の、それぞれの成立事情について検討を加えた。その結果、(1)(2)とも古いものではなく寛政期になってから作られた縁起であり、対ロシアの危機意識が高まった蝦夷地情勢を背景に、いわば蝦夷地派遣の幕府役人らによって見出された三厩蝦夷渡り物語であることを明らかにすることができた。
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