2009年度は前年度に引き続き、田村麻呂・義経伝説に関わる資料・文献を購入または複写によって収集するとともに、当該伝説を発信する場所(北海道積丹半島、青森県下北地方、秋田県湯沢市周辺、岩手県宮古市周辺)の巡見をおこない、デジタルカメラによって撮影した。また、『新秋田叢書』や、『奥羽観蹟聞老志』などの仙台藩地誌類から関係記事を抽出し、パソコンへの入力作業を進めた。 これらの基礎的な作業を前提にして、仙台藩の地誌を中心に田村麻呂・義経伝説の近世的展開について考察をおこなった。とくに、『平泉雑記』など奥州平泉に関する地誌3部作を著わした相原友直の義経蝦夷渡り説否定論について論文を執筆した。義経が平泉で死なずに逃げ蝦夷地に渡ったとする物語・伝説が近世中期以降流布し、それを史実であるかのように信用してしまう風潮のなかで、それは史実ではなく偽作だと徹底して批判を加えていたのが友直であった。とりわけ義経蝦夷渡りを説く『義経勲功記』『鎌倉実記』に対する批判がどのようなものであったのか検討し、友直の地誌考証の態度や方法について、正史・野史・郷説の3つのレベルが存在することを明らかにした。 また、仙台藩の近世中期に編纂された『奥羽観蹟聞老志』などの地誌類から坂上田村麻呂の東夷征伐・異賊征伐の伝説を抽出し、寺社の縁起や地域アイデンティティと関わってどのように語れていたか考察を進め、論文としては完成できなかったが、公開講座のなかで発表することができた。 さらに本研究に関連して、中世骨寺村(一関市)の中心的な景観の一つである山王窟について近世にどのような言説が語られていたのか検討するなかで、仙台領の窟伝承に関心を向け、田村麻呂伝説(鬼征伐)が入り込んでいる事実を示すことができた。
|