植民地台湾において圧倒的なマイノリティであった台湾先住民に焦点をあて、近代日本の植民地統治のあり方の推移と、それが植民地社会および日本「内地」の社会意識のあり方に与えた影響を、日本「帝国」の形成期から崩壊期までというタイムスパンの中で考察するという目的を達成するため、本年度は植民地台湾での先住民政策史において第1期とされる1895年から1914年に焦点をあて、当該期において、先住民社会に最大の影響を与えた政策である「五箇年計画理蕃事業」について、特に人種主義思想との関連で考察した。その結果、具体的に明らかになった点は、次の2点である。 1.台湾先住民に関する人類学的な観点からの調査活動は、日本による台湾領有直後から展開されていき、その結果として台湾先住民内部に様様な分類線が引かれていったことを明らかにした。また1907年から本格的に行われる「五箇年計画理蕃事業」の実施と前後して、日本人および漢民族系台湾住民を「蒙古人種」とし、台湾先住民を「馬来人種」とする言説が流布していくこととなるが、そのような言説の背景には、支配者である日本人と台湾先住民との差異の強調という側面とともに、被支配者内部の切断という政治的な意図が込められていたことを明らかにした。 2.植民地住民の国籍問題との関連で、台湾先住民を法的人格としては認めないとする言説が実行力を持っていく過程を分析した上で、警察と軍隊による徹底的な武力鎮圧作戦である「五箇年計画理蕃事業」とは、台湾先住民について、(生物学的な意味での)「ヒト」であることを否定するような強烈な人種主義的思考に基づくものであったことを明らかにした。 以上のような考察結果は、2008年度歴史学研究会・大会で発表するとともに、論文として公刊した。
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