植民地台湾において圧倒的なマイノリティであった台湾先住民に焦点をあて、近代日本の植民地統治のあり方の推移と、それが植民地社会および日本「内地」の社会意識のあり方に与えた影響を、日本「帝国」の形成期から崩壊期までというタイムスパンの中で考察するという目的を達成するため、本年度は植民地台湾での先住民政策史において第1期・第2期とされる1895年から1930年に焦点をあて、台湾先住民有力者への懐柔・教化政策の代表的なものである「内地観光」政策について分析するとともに、1937年から1945年の総力戦体制期にも焦点をあて、台湾先住民に対する軍事動員政策について準備的な考察も開始し、以下のような中間的な結論を得た。 1.台湾先住民に対する「内地観光」政策については、特に「頭目」など旧来からの先住民社会有力者を対象とした初期の段階において、政策決定者の側の意図と、実際に参加した先住民の人々との期待に大きな齟齬があり、その不満は内地観光団の帰台後噴出し、その後の先住民政策の実施に関して禍根を残す場合もあったことを、事例に則して具体的に明らかにした。 2.1930年の霧社事件以降、台湾先住民に対する「内地化」政策が本格的に展開することになるが、その内容は台湾先住民の規律・訓練化という側面を多々含むものであり、その後の総力戦体制下での台湾先住民の軍事動員の基盤ともなった点を明らかにした。その上で、総力戦体制下での台湾住民の軍事動員を考える上で、対岸の厦門、香港、澳門、海南島などとの関連が重要であり、当該地域の状況も含めて総合的に考察する必要性を確認した。
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