植民地台湾において圧倒的なマイノリティであった台湾先住民に焦点をあて、近代日本の植民地統治のあり方の推移と、それが植民地社会および日本「内地」の社会意識のあり方に与えた影響を、日本「帝国」の形成期から崩壊期までというタイムスパンの中で考察するという目的を達成するため、本年度はまず、台湾先住民に対する大規模な「討伐」服従化作戦である「五箇年事業理蕃計画」が台湾で実施されていた時期に、日本「内地」で台湾先住民がどのような形で表象され意味付けられていくのかを、拓殖博覧会(1912年に東京で開催)に焦点をあて考察した。そこから、一面では台湾先住民を「脅威」として描きながらも、最終的には「文明」による「教化」という文脈で把握しようとしたのが当該期の台湾先住民表象の特徴であり、そのような表象行為に人類学的な知見が大きな影響を与えたことを明らかにした。 また、もともとは台湾先住民の居住地であったタロコ渓谷一帯に焦点をあてて、この場所の「意味」と「記憶」が、植民地支配下の台湾先住民政策との関連で、どのように変化していくのかを考察し、植民地統治者の側の「台湾先住民に対する討伐作戦の記念の地」という意味づけと、先住民の側の「植民地支配に対する抵抗の場」という「記憶」、そして戦後の国民党政権による意味づけが、複雑に交錯していくことを明らかにした。 さらに台湾先住民を対象とした軍事動員である「高砂義勇隊」についても資料収集等をすすめた。
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