植民地台湾において圧倒的なマイノリティであった台湾先住民に焦点をあて、近代日本の植民地統治のあり方の推移と、それが植民地社会および日本「内地」の社会意識のあり方に与えた影響を、日本「帝国」の形成期から崩壊期までというタイムスパンの中で考察するという目的を達成するため、本年度はまず「宗主国と植民地の絡み合う経験」という観点から台湾先住民の「内地」観光に改めて焦点をあて、日本による台湾領有初期から1930年代さらに総力戦期にかけて、その性格がどのように変化していくのかを検討した。その結果、次の2点を明らかにした。 1.1897年の第1回「内地」観光実施の段階から、台湾先住民の知識欲、とりわけ農業に関する関心は強いものであったが、「内地」観光の内容は彼らの希望に沿うものではなく、教化政策として実施された「内地」観光が、かえって植民地政府への不信感を増幅させる結果となったこと。 2.その上で、1930年代以降の「内地」観光は、農村視察が中心となることで、郷土の生活改善のための知識を得ようとする台湾先住民の期待にある程度応えるものになり、「内地」の人々との実質的な交流が生じたが、一方で、台湾先住民が自らの文化を否定していく契機となり、それは「山地」の「内地化」という当時の台湾先住民政策を強力に支える経験でもあったこと。 さらに本年度は最終年度であるため、本研究課題全体の考察を、特に植民地支配に関する「学知」の関わりの変遷と、人種主義的思考の変容という観点から行い、植民地支配開始直後の法学・経済学・人類学・歴史学といった分野を中心とする学知の関与から、時期が下がるにつれて、美術・音楽・芸術学・美学といった分野も含めた広範な学知が関わるようになっていく傾向について論じた上で、各時期の人種主義の特徴を分析し、その成果を口頭発表するとともに、一書としてまとめるための原稿執筆を行った。
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