研究概要 |
1,京都大学総合博物館所蔵勧修寺家文書「遷幸伝奏記」写真本を入手して、儀式伝奏の下で職事弁官と外記局・弁官局の局務・官務と六位外記史の行動を抽出した。儀式伝奏と幕府奉行人との関係を整理し、惣用方伝奏や儀式伝奏による伝奏切符の発給と幕府奉行人による下書の作成・奉行人連署奉書の作成によって公方御倉から用途料の下行(支払い)がなされたことをあきらかにした。っこの結果、公家の儀式伝奏と武家の幕府奉行人がともに天皇や室町殿との合議にもとづいて行政執行業務に従事していることがあきらかになってきた。 2,新出史料の師胤記と中原康貞記と舟橋清原家旧蔵史料の対比検討をおこない、その原本が早稲田大学図書館にあることをみいだした。とくに、中世禁裏の地下官人の中で、外記局の局務の下で働く六位外記と史らが、中原・高橋・安部氏らがネットワークをつくり、織部町・冷泉院町を知行地としており、六人の「知行衆」が「会合」をもって共同知行していた役割を復元した。とくに、中原康冨らは、幕府奉行人の飯尾・松田らと和歌会・連歌会・蹴鞠会などで日常的に交流しており、禁裏と室町殿の奉行人らが共同の官僚機構として機能していた可能性が高くなった。その一部は、『歴博』156号に「中世禁裏の地下官人史料」として発表した。 3,禁裏と室町殿との共同国家財政として惣用下行帳が機能しており、禁裏の勘合貿易と甘露寺親長の弟である取龍が活躍し、禁裏船の利益から千貫文を上納することを約束し、実際には禁裏への借銭の三相倍である400貫文を差し引いて600貫文を納入していた。禁裏での財政運営に取龍のような禅僧で堺商人や、公方御倉などが貸借契約を結んでいたことなどをあきらかにした。それらは、NHK教育TV知る楽「ニッポン借金事情」で公開した。
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