(イ)儀式伝奏甘露寺親長とともに武家伝奏をつとめた廣橋綱光が、担当した義政の院御所参院行事について、歴博所蔵の『義政公院司拝賀雑事文書』を翻刻・調査して、伝奏と職事弁官と局務・官務と六位外記史の行動について動向を抽出し、禁裏が室町殿と共同で行政執行にあたっていることをあきらかにした。研究の成果の一部を国際日本文化研究センターでの共同研究『日記の総合的研究』(2010・7・17)で報告した。 (ロ)舟橋清原家旧蔵史料の翻刻調査と並行して、歴博による史料保存のために修理作業に協力し、業者での保存のための助言・与条件の作成をおこなうとともに、紙資料の詳細調査を実施した。 (ハ)禁裏御料所の丹波国今安保・桐野河内郷・佐伯荘・氷所保などの荘園遺構調査を実施した。とくに、桐野河内が公方御料所でもあり、禁裏御料所と共同所領であったことを指摘した。 (ニ)昨年につづいて船橋清原家旧蔵史料の整理・翻刻・データ入力をすすめた。 (ヘ)禁裏と室町殿との共同儀礼として仏教法会が実施されており、その実態についての歴博関係史料の紹介と分析を行い『史実中世仏教第1巻』(興山社)で刊行した。 (ハ)禁裏と室町殿の共同による仏教法会について「中世禁裏の宸筆御八講をめぐる諸問題と『久安四年宸筆御八講記』」『国立歴史民俗博物館研究報告』160集(2010・12 pp207-221)を公表した。幕府方史料と禁裏方史料とのズレと共同性を史料批判する重要性を提起した。 (ニ)室町殿と地方国人との関係動向について「室町将軍足利義政と井上・須田・高梨氏の一門評定-高井地方の中世史4-」(『須高』702010・4 pp1-32)を公表した。 (ホ)将軍と朝廷の関係について、中世前期について「関東武士 運慶のパトロン」(『週刊朝日百科 国宝の美27彫刻10 運慶と康慶』朝日新聞出版2010・2 pp30-31)を公表した。 (ヘ)船橋清原家旧蔵史料の翻刻・調査の成果を「口絵 年未詳十二月廿五日大宮時元書状土代」『日本歴史』748号(2010・9)で公開し、地下官人の動向を史料紹介した。
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