北海道立文書館において、十勝・日高・胆振地方を主な対象として、札幌県文書および地図史料の調査を継続的におこなった。特に勧業課作成文書について、サケの禁漁をめぐる問題や農業教授を中心として重点的に調査をしたほか、会計課作成文書についてアイヌ民族に関する農業教授の実施、飢餓に対する救済米の支給に関する文書の所在状況の把握調査をした。以上のうち、十勝地方については、内容の分析をすすめ、札幌県文書からの関係史料抄録として知られる「旧土人札幌県」(北海道立図書館所蔵河野常吉資料)との照合をおこなった。 その他に、(1)北海道大学附属図書館において、当該期の『官報』の記事調査、(2)市立函館中央博物館において、明治初年の十勝地方における生産活動や一橋・田安家による分領支配下におけるアイヌ民族の状況についての記述を含む『十勝広尾雑記』、および『北海』(函館で刊行の新聞)1889年5月から1890年10月までの分の調査、(3)帯広市百年記念館において、三県・道庁初期の十勝地方においてアイヌ民族への農業教授に深く関わった晩成社幹部の渡辺勝とその妻カネの日記を、既刊の『渡辺勝・カネ日記』(帯広市社会教育叢書No.7、帯広市教育委員会、1961年)と照合調査、などを実施した。 以上の調査と以前からの調査蓄積をもとに、十勝川流域において札幌県が実施したサケ禁漁とアイヌ民族の関係について論考をまとめた。主要な論点は、(1)現地を事前に調査した官吏にはサケ禁漁の強行がアイヌ民族の飢餓を生じさせるとの予想があったが、県はこれを採用せず監守を派遣して取締りを徹底し、それが一要因となってアイヌ民族の飢餓が発生した、(2)アイヌ民族からは自給用サケ漁の容認を求める動きがあり、札幌県は監守派遣を1年ないし2年で打ち切って実質的には「密漁」黙認と同然の扱いをしたが、制度上権利を否定した点には変更を加えなかった、といった点である。
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