北海道において、いわゆる三県一局期(1882~85年)に開始されたアイヌ民族に対する勧農政策(「旧土人救済方法」などと呼ばれた)について、札幌県と根室県に重点を置いて下記の諸点を中心に検討し、開拓使による諸政策の結果として生じたアイヌ民族の困窮に北海道の地方行政がどのように対応したのか、「北海道旧土人保護法」(1899年制定)による農耕に目的を限定した土地下付政策が、地域においてどのような前提をもっていたのかを考察する。 (1)各県によるアイヌ民族の実情把握、県庁内部における議論および農商務省とのやりとりなど「救済方法」の立案過程 (2)種苗・農具の給与、教授者派遣など施策の実施実態 (3)アイヌ民族に対する移住の実施やその土地制度上の扱い、農業以外の生業活動についての制限などとの関係 (4)各地のアイヌ民族の対応および政策がアイヌ民族に与えた影響 (5)「救済方法」の打ち切り過程
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