本研究は、横浜正金銀行リヨン出張所初代主任川島忠之助が遺した複写式書翰(コピーレター)及び書類、写真などを調査分析し、明治20年代の横浜正金銀行の姿を行員の視点から明らかにすることが目的である。4カ年の研究期間において、計画どおり書翰をほぼすべて翻刻し、その分析をおこなった。また、手札写真の被写体の人物特定などを可能なかぎり実施した。 これにより得られた所見は以下のとおりである。 (1)複写式書翰は、正金銀行の本支店間、支店間の公用通信とは異なり、出張所主任である川島の個人的な書翰であるが、公用書翰には記載できない銀行業務に関する意見や情報の交換がなされていたことが判明した。現在、明治20年代の公用書翰は、本店からニューヨーク支店との間のものがアメリカ国立公文書館に所蔵されているだけであるので、当時の本店と欧州支店との情報連絡の様子が判明する貴重な資料といえる。 (2)書翰にはしばしばフランスなど欧州の政治経済状況や貿易商などの情報が記載されているが、川島など在外行員の役割として、海外の政治状況や市況などを詳細に本店に報告する義務があったといえる。外国の政治状況が貿易為替に大きな影響を与えることから、正金銀行としてどのようにリスク回避するかの判断材料として在外行員の報告が必要であった。これは、後に正金銀行調査部による外交経済などの情勢調査のはじまりといえる。 (3)写真には、正金銀行員をはじめ当時欧米に赴任していた外交官、武官、貿易商などのものがあり、とくにこれまで不明であった正金銀行員の肖像を確認できたことは大きな意義を有する。
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