研究概要 |
平成23年度の研究は、昨年度に続き仁祖時代,(1623~49)に伝来したと確認できる漢訳西学書について検討を加えてきた。検討の主な点は、いつ頃に誰がどのような漢訳西学書を伝えたのかということと、伝えられた漢訳西学書が当該社会にどのような影響をあたえたのかという点である。 昨年度までに、仁祖七年から八年にかけて中国山東半島の登州で、中国人天主教徒から漢訳西学書の内容や西洋事情を伝えられた問安官崔有海についてまとめたため、今年度は崔有海以降の人物について、特に、仁祖時代に政界で活躍した人物で、文集が『韓国文集叢刊』に残っている人物について網羅的に検討を加えてきた。 その結果、主に仁祖代に政府高官を歴任した金世濂(1593~1646年)の文集に注目すべき文言が掲載されているのが見つかった。それは1636年(仁祖14)に金世演が通信使の副使として、日本に赴いた際に、下関から瀬戸内海に船で入ったときに、日本列島の地形を見ると、これまでの朝鮮国内で流布していた地図は、その実態を捉えてはいないが、マテオrリッチの作成した世界図には見るべきものがあると言及する部分である。金世濂は、1636年までに明国に赴いていないため、彼が見たリッチの世界図は、朝鮮国内で誰かが所持していたものに違いないと考えられる。 金世濂の交友関係を検討し、誰がリッチの世界図を所持していたのか推測すると同時に、リッチの世界図が当時の人々に信頼すべき地図として認識されていたのか、当時の人々の地理観明らかにしながら、検討を加えてみたい。
|