本研究の目的は、貨幣経済が浸透しかつ一部で資本制企業が活動しながら、市場メカニズムが充分に機能する社会へと一方向的な変化を起こさなかった社会のあり方およびその原因を、19世紀のジャワ島西部を事例として考察することにある。 今年度は実証研究とともに、資料の効果的分析が可能となる枠組の精緻化を行った。 実証研究の一環として、18世紀末から19世紀半ばまでのジャワ島をとりまく外的環境のうちグローバルおよびリージョナルな交易の状況を検討した。そして1820年代半ば以降40年代までのジャワ島における銀不足は、以下のような要因による、交易拠点としてのジャワ島の地位の凋落、貿易量の減少により起きたとする仮説を提出した。1)ジャワ島における銀不足は、世界的あるいは東南アジア地域における銀不足に加えて、世界市場向け産物の全般的な過剰生産のなかで、東インドの主要産物(コーヒー、砂糖、丁字・ニクスク)が他地域で増産されて価格が暴落したために起こった。2)丁字・ニクスクがインド洋西部で栽培されるようになった結果、香料諸島への米の輸出拠点としてのジャワ島の重要性が意味をなさなくなった。3)中国・インド間交易の中継拠点としてシンガポールが合理性を持った。これらの外的要因は、強制栽培制度がジャワ島における産物輸出覇権の激しい争いの中で強権によって達成されたのではないことを示しており、従来の強制栽培のイメージを塗り変える第一歩となる。 以上の内容は、2009年2月の東南アジア史学会中国・四国例会で発表した。研究枠組みについては、に反映させた。なお、史料収集活動については、8月にオランダ国立文書館へ主張して30年代から700年に至るプリアンガン地方史の基礎資料史科を入手した。
|