本研究の目的は、貨幣経済が浸透しかつ一部で資本制企業が活動しながら、市場メカニズムが充分に機能する社会へと一方向的な変化を起こさなかった社会のあり方およびその原因を、19世紀のジャワ島西部を事例として考察することにある。 今年度も引き続き実証研究および史料の効果的分析が可能となる枠組の精緻化を行ったうえで、個別論文を執筆した。個別論文の中では、次の点を論じた。 第1に昨年度得た仮説について史料を収集し、1820年代半ば以降40年代までのジャワ島における銀不足は、世界的なスペインドル国際通貨体制の崩壊のなかで、交易拠点としてのジャワ島の地位の凋落、貿易量の減少(来航船の減少)により起きたことを実証した。さらに熱帯産物の生産増大によってコーヒー、クローブなどが暴落し、グローバルなレベルで銀が相対的に不足していたと言い得ること、1820年代半ば以降40年までジャワ以外にも少なくともインド、中国、ベトナムが不況に見舞われ、銀の流出が起きていたことを報告した。 第2に現地社会が強制栽培制度を受け入れたローカルな要因として、次の3点が重要であることがわかった。1)オランダ植民地政庁の貨幣政策によって銅に対する銀の交換レートが高騰し、経済徴税政策の失敗と干ばつがジャワ戦争を引き起こして中国人の砂糖工場経営と商業とを破綻においやったこと。2)これらのダメージを受けた中国人および現地社会における砂糖およびコーヒーの生産を促すために、オランダ政庁は銀の裏付けのない銅貨や紙幣を大量発行して(すなわち一時的に銀本位制祖を離脱して)生産を刺激し、かっ産物を買い取り直接オランダへ輸送したこと。 これらの内外の要因と政庁の政策は、強制栽培制度導入がジャワ島における産物輸出の激しい争いの中で政庁の強権によって達成されたのではないことを示しており、導入期における従来の強制栽培のイメージを塗り変えた。
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