抗日戦争以来、諸勢力の争奪の対象となった極めて不安定な根拠地である冀魯豫区(晋冀魯豫辺区の東南部分)を対象に、転変する政治・軍事情勢と社会の流動性に対応した政治等級区分と大衆動員の特徴を考察した。内戦勝利に至るまでの政治情況の変化に伴い、中国共産党(中共)の政策方針は転変を繰り返し、中共が打倒を目指す敵や同盟者の範囲もこれに伴い伸縮した。政治的態度を基礎とした中共の政治等級区分には、身分固定はなくとも権威の序列を厳格に可視化する伝統社会の秩序概念が継承されており、農民に浸透した伝統的権威を利用した動員が行われた。中共の大衆路線は、下層大衆を積極分子・党員・幹部として登用する指向を一貫して維持しており、運動の度に社会に流動性を与えていた。負の等級区分では、恣意的なレッテル貼りが横行し、没落の可変性は常時人々に示されていた。政治等級区分には、恣意性と不安定さが付きまとう一方で、左傾政策の時期から政策転換期まで、厳格な区分の中に一定の流動性を許容することで、人々に忠誠を迫る特徴が維持されていた。本来的に弱い村落の保護機能が、内戦の混乱で更に低減するに伴い、任意の組織に保護を求める民衆の行動は過激なものとなった。郷約の形態を踏襲する不安定な規範の確認が盟誓の形で行われ、大参党運動の盛り上がりや会党組織の勃興を支えていた。一方で中共は十数年来の闘争を経て、社会を動員する党組織を区から村へと浸透させつつあり、自治能力の弱い村落を代替して民衆を動員し、社会を変革する力を持つに至っていた。
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