本研究は、フランス第二帝制期がボルドーの地域権力にとって重要な転換点をなすとの観点から、帝制の統治理念が地域レベルでどのように作用し、またそれに対して地域社会の側からいかなる反作用がなされたのかを実証的に探る事例研究である。帝制統治の側については、その論理をよく反映すると考えられる1855年および1867年に開催されたパリ万国博覧会の理念と組織化〔以下、万博政策〕に着目し、それらとの関連において19世紀をつうじすぐれて「ワインの街」という個性を強化していったボルドーの都市社会ないし都市指導層の意向を体現する地域権力にアプローチする。 具体的には、以下の課題を設定した。 (1)社会構造分析:ボルドー商業会議所その他の政治機構(ジロンド県会、ボルドー市会等)など都市指導層の構成員を特定することにより、地域権力の人的構成を解明する。 (2)言説分析: (1)まず、帝制側の指導理念や対地方スタンスについて理解するため、帝制当局の万博政策に関する調査をすすめる。 (2)次に、パリ万博組織化の過程におけるパリとボルドーの間の交渉に注目し、パリ万博をめぐる帝制当局側の論理を視野に入れつつ、ボルドーにおける万博政策への対応、およびワイン出品をめぐる利害状況を探る。 (3)構造と言説の関係分析:上記(1)および(2)の関係性(とその変容)を綜合的に考察する。これにより、当該期における地域権力の構造と機能を析出し、もってボルドーという都市を中心に編みだされる地域権力の歴史的個性を明らかにするとともに、さらにすすんでボナパルト体制下における中央・地方関係を検討し、これに関する新たな知見を得るための手がかりとする。
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