本研究は、18世紀ドイツの農村地域を対象に、国家による啓蒙主義的政策に対して、農村住民がいかに対応したかを調査することにあった。19世紀前半期の封建制廃止の時期まで、農村住民は独自の伝統文化を保持し、生活していた。啓蒙主義的国家政策は、農村住民の文化、とりわけ彼らの信仰やその表出形態としての巡礼や祭り、風習を「迷信」とみなし、それを矯正することを試みた。国家はキリスト教会と手をたずさえて、民衆文化の破壊を強行しようとした。しかし、農村住民の伝統的宗教文化が、国家や教会の法令等によって、すぐさま矯正されたわけではなかった。本研究は、こういった農村住民の「上から」の圧力に対しての抵抗、恭順などさまざまな反応を探った。
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