研究課題である聖人祝日暦写本(ヴァチカン・オットボーニ写本163番)の解読と転写作業を、昨年に引き続いて行なった。特に問題となるのはトゥールの第3代司教で、ガリア農村地帯のキリスト教化に最大の功績を挙げた聖マルティヌスの命日であるIII.Idus Nov.(11月11日)と、本研究課題の根底となるトゥール、サン・マルタン修道院院長アゲリクスの命日とされているIII.Idus Aprilis(4月11日)である。本写本の11月11日の項の記載内容を精査すると、聖マルティヌスについての記述は、ウズアルドゥスの聖人祝日暦の標準的記述そのままである。これは同じ司教座の第8代司教であったペルペトゥウスについての、独自な情報を含んだ記載と対照的である。ただこのことによって、本写本の作成地の候補からトゥール地方を外す理由にならないのは、他ならぬペルペトゥウスについての独自の情報を含んだ記載があるからである。一方4月11日については、今日まで知られる限り、唯一のトゥールの「Sanctus Agirici abbatis」なる記述が見える。世界に現存する数千点に達する聖人祝日暦写本の中で、このヴァチカン・オットボーニ163番だけが有する記載である。アドンの祝日歴にもウズアルドゥスのそれにも、アギリクスの名前は一切登場しない。この写本の4月11日の項には、標準的記載には出てこない聖人名が他に比して多い。その中で注目すべきはイングランド北東部のリンカンシャーの隠修士グトラクスの名前である。F.Wormaldが編纂したEnglish Benedictine Kalendars after AD.1100収録されている全写本の8割ほどに記載されており、当該写本がブリティン島で作成された可能性をうかがわせる。ちなみに本写本には、12月3日の項に、標準的な記載に加えて、聖ビリヌスの名前と事績がドルチェスタの初代司教(†640)として記録されており、これもまた本写本の作成地がブリティン島であることをうかがわせる事実である。
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