高澤は、2008年度はこれまでの研究の成果をまとめた『近世パリに生きる-ソシアビリテと秩序』(岩波書店、2008年)の刊行に精力を傾注した。この本の完成によって、近世パリの宗教的変容と社会・文化変化の大きな筋道を見通すことができたと考える。パリ社会を一枚岩の地域と見なすのではなく、地域内の偏差が重要であるとの知見を得、サン・ジェルマン・デプレ(サン・シュルピス教区)の研究に着手した。 早川は、これまでアウクスブルクをフィールドに行ってきた、再洗礼派、特にその一般信徒たちに焦点を当てた研究を、カウフボイレン(アウクスブルクよりもさらに南に位置する中規模都市)を対象に行うことを試みた。公刊史料(審問記録)の他に、同市を訪れた際に収集した未公刊史料(市参事会議事録など)を分析した。その結果明らかになったのは、1528年の市内では想定することのできた、再洗礼派のリーダーの存在やそのもとに集い教え導かれる信徒たちの姿を、モラヴィアのフッター派との結びつきが強まった1540年代以降では、見出すことができないということである。1540年代以降の史料が教えてくれるのは、モラヴィアへ移住した信徒たちの情報である。また同市については、すでにS. Dieterという研究者が再洗礼派の居住地の特定を試みているが、その際に用いられた証書史料も同様である。加えて、再洗礼を理由に同市を追放された信徒たちがアウクスブルクへ向かっていること、そしてアウクスブルクが、モラヴィアを目指す再洗礼派の集結地になっていたことも明らかになった。このことは、南ドイツに広まった再洗礼派の動向を探る上でのアウクスブルクの重要性を示している
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