平成21年度は、大西洋世界における疫病の一事例として、アイルランド人移民の飢餓と疫病(主としてチフス)について検討した。19世紀中葉から20世紀初頭にかけて、祖国における飢餓の状態を記述したナショナリズム運動家たち(ジョン・ミッチェル、ジョン・サヴェッジ、オドノヴァン・ロッサ等)の言説を分析し、飢餓と疫病の発生原因をイギリスによる圧政に求める論点を抽出した。アイルランドからアメリカへの移住=ディアスポラが、飢饉と疫病の被害を記憶する移民に独特の心性を付与し、そのことが祖国独立に向けての暴力を伴う支援運動へとアメリカの移民を駆り立てる原動力となったことも明らかにした。また、多くのアイルランド人飢餓移民にとって北米での上陸地点となった、カナダ・ケベック市近郊のグロッセ・アイル島では、到着後に膨大な数の移民が疫病で死亡したが、20世紀初めに建造されたその慰霊碑が記憶の継承に果たす役割についても解明した。 同時に、後に民間医療の分野でユニークな地位を占める宗教家イライアス・スミスに関して、その自伝を詳細に分析し、活字の力を用いるスミスの伝道・医療活動の背景を明らかにすることができた。 平成21年度はまた、国内外の図書館等で文献資料の収集に精力を費やしたが、とくに東京大学アメリカ太平洋地域研究センターと韓国ヨンセイ大学では、キリスト教宣教師団体が残した移民関係資料を収集した。これらの資料は、平成21年度の研究成果に直接結びつくものではなく、次年度の研究のための素材となりうるものである。
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