最終年度の本年度は、主に以下の二点について総合的な考察を行った。第一に、18世紀スウェーデンのウップランド州で発展したプロト工業の一形態である製鉄工場村(ブリューク)、たとえばフォシュマルクやエステルビューやレーフスタ等のブリュークに関する前年度までに行った調査を整理した。特にレーフスタのブリュークは、スウェーデン工業の父と称されるルイ・ド・イェールの本拠であるため、この人物とその家族のこの地に残した事績について集中して調査を進めた。これは17世紀スウェーデンの武器製造の問題に通じ、近く成果を公表する。第二に、本研究課題の最も重要な問題である、港町ストックホルムの首都としての17世紀における発展と18世紀以降のその停滞の要因について、王権による商業政策を追うことで、考察を深めた。これについても、17世紀ストックホルムの都市政策の諸問題として近く成果を公表する。なお、当時の世界商品であるワロン鍛冶で生産された板鉄の生産制限とその高品質の保証という国策は、工業化以前の工業の技術上の限界や組織改革の困難さ、国全体からみた場合のドイツ鍛冶とワロン鍛冶の併存という問題だけでなく、たんなる金属資源の開発を超える燃料資源(この場合、木炭)の運搬と森林の保全という交通・環境上の制約があったために、とられたことが判明した。つまり、生産者の問題と環境問題が生産制限に絡み合っていたわけである。しかし、ベリイスラーゲン(ドイツ鍛冶)とウップランド(ワロン鍛冶)という二大生産地帯だけでなく、地方ブリュークの展開も視野に収める必要はある。よって、ストックホルムの鉄貿易の比重の低下が当都市の停滞を促したとすれば、他の有力な積出港ヨーテボリをはじめとする他の海港諸都市のたとえば貿易量と比較することが有効であるという結論を得た。
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