(1)正倉院宝物の三彩陶器に代表される施釉陶器は、飛鳥・奈良時代に海外の高度な技術を導入して自国での製作が行われた手工業生産物のうち、考古学的に実態を追究しうる数少ない存在である。本研究は、このような施釉陶器の生産のうち、主に平安時代における展開状況に焦点を当てる。 (2)施釉陶器の大生産地は畿内(平安京近郊)と東海地域であるが、既往の研究においてはその相互比較の視点が不十分であることから、その両地域を中心に据えた研究を企図する。 (3)畿内(平安京近郊)窯のうち丹波の篠窯は、東海地域とは異なる生産技術を持つとみなされていたが、9世紀末頃に操業された大谷3号窯では、東海と類似した技術や形態を持つ緑釉陶器を生産している実態が浮かび上がったことから、とりわけその包括的な検討を本研究の中心的な目標とする。 (4)以上の方向性をふまえ、筆者の試案による器種分類を適用しつつ個体数を算出することや、器種による法量を計測することなど、考古学的な資料の再点検を通じて、畿内と東海の生産実態を明らかにする。 (5)また、古代施釉陶器の研究としては、これまでも釉調などの色調が着目されていたが、感覚的な色彩表記が多かった。そのため、施釉陶器の色調の包括的検討として、分光測色計による測定、ならびに目視による標準色票との比較同定の双方を新たに行い、それらに基づく研究方法の構築を試みる。 (6)上記の他にも、新たに釉や胎土に関する化学分析データなどの蓄積を行い、それらの多角的な比較・検討によって、畿内と東海の各生産地の地域的特質と相互関係を究明する。 (7)さらには、施釉陶器以外の手工業生産などとの比較を通じて、施釉陶器生産の実態と歴史的位置の解明を目指す。
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