本研究の学術上の目的は、近世石造物について、種類を超えて横断的に比較し、地域的な文化圏を再構成することにある。具体的には江戸後期の南関東地方において地域的な信仰を集めた安産講である「手児奈講」とその講が造立した「手児奈講碑」を取り上げ、まず、資料集成し、その普及過程を明らかにするとともに、道標や、寺院に寄進された灯籠などの石造物といった多様な石造物データから復元した当時の日常的交流圏の中で位置づけ、江戸後期における土着信仰の一般化の過程を明らかにすることを目的としている。研究開始初年度にあたる平成20年度では、まず、手児奈講碑の悉皆調査をおこない、手児奈講の分布範囲を確定した。さらに、近世前期に手児奈伝説の顕彰・普及活動に取り組んだ鈴木長頼の事績について、当人が残した『鈴木修理日記』等の文献史料等の精査・分析を行った。上記の分析の結果、近世後期に展開した手児奈講は近代の安産講(手児奈講)と異なり、明確なつながりや地域性があるというよりは散発的に存在していることがわかった。さらに、布教による教線拡大というよりは、手児奈霊堂の整備と、手児奈霊神の存在とその御利益が『江戸名所図会』・『成田参詣記』などに記載されることで有名になったことで自然発生的に成立したと指摘できた。これらの点については、日本民俗学会第60回年会で学会発表すると同時に、その成果の一部を用いた論考を『文化資産の活用と地域文化政策の未来講演論文集』において発表した。
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