『一遍聖絵』を手がかりに、日本における都市の成立を考えることが本研究のテーマである。そのために、本年は初年度として、『一遍聖絵』についての諸情報を改めて収集整理し、同時に『一遍聖絵』に登場した諸地域の現地踏査を本研究の視点でおこなった。踏査先は、北から岩手県平泉、福島県白河関、栃木県大慈寺、東京都石浜神社、神奈川県藤沢、愛媛県松山宝厳寺、香川県善通寺、愛媛県大山祇神社、岡山県瀬戸内市備前福岡、岡山県西大寺備前一宮、広島県新市備後一宮、広島県厳島などである。また平泉から鎌倉への変遷を示す会津坂下町の陣が峯城、鎌倉時代の港湾都市遺跡として注目されている島根県沖手遺跡および善光寺門前遺跡群の資料調査と鎌倉遺跡群についても実地踏査と調査をおこなった。『一遍聖絵』の中で最も有名な場面の一つである備前福岡市庭は、五味文彦氏が指摘するように藤井の政所とセットで考える必要がある。今回の踏査により、瀬戸内の港湾都市に隣接した藤井と、藤井から最も近い大型河川である吉井川沿いで営まれた福岡市庭の関係を確認することができた。また善光寺は、一遍が遊行の意志を固めることになった二河白道にちなむ場所であり、近年は門前の調査で見つかった薬研堀と出土遺物の検討から、鎌倉時代に現在と異なる地割りが存在し、栄えていたことも明らかになってきた。なおその成果をふまえ、日本民俗建築学会シンポジウムで報告をおこなった。このように一遍が遊行した場所は、当時各地の政治や経済の中心地だったことについての実証的な見通しを得ることができた。同様な状況は静岡県見付の遺跡からも想定できる。次年度の大きなテーマとしたい。
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