一遍聖絵を手がかりにして、中世成立期における地域の姿を再現することで、日本における都市の成立を考えることが、本研究のテーマである。本年はその3年次として、『一遍聖絵』に描かれた場所の空間構造分析とあわせて、『一遍聖絵』に登場しない同時代の地域拠点についても現地踏査と調査をおこない、さらに最終年度に開催する公開シンポジウムの準備をおこなった。 今年度の現地調査は、前年度の研究でおこなった港湾都市遺跡に対比される内陸の都市遺跡に注目し、一遍が踊り念仏を開始した重要なポイントである信濃国伴野荘から信州の鎌倉と呼ばれる塩田平と、武蔵国を縦断する鎌倉街道上道の調査をおこなった。このうち前者では、伴野氏の館とも推定されている野沢城から伴野市庭にかけての一帯が、上野国藤岡から富岡街道を抜けて信濃に入り松本の府中に至るルート上に位置し、さらに千曲川の渡河点でもあったことが明らかとなり、街道と交差する川沿いに市と館が建つ鎌倉時代の風景が、西方寺と共に現在に甦ってくることが確認された。また塩田平の象徴である塩田城も、これまで戦国期の城とされてきたが、現地を踏査した結果、山林寺院の構造を持っていることがわかり、背後の象徴的な山塊を信仰の対象とした鎌倉時代の寺院が前身で、塩田の集落は、その全面に展開することが推定できた。 また次年度に予定する公開シンポジウムでは、文献学の五味文彦・榎原雅治氏、考古学の山村信榮・宿野隆史・重久淳一・木村浩之・深澤靖幸氏および遊行寺宝物館の遠山元浩氏と議論を重ね、考古学と中世史研究会との合同により、帝京大学山梨文化財研究所で開催の運びとなった。
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