計画道路を外部の権力などにより設置された道路と定義し、全国の該当する資料を調査収集した。近畿以外の地域の道路遺構には、弥生時代までさかのぼる長崎県原ノ辻遺跡や古墳時代前期の福岡県比恵那珂遺跡の事例があるが、これらは計画道路とはいえない要素をもっており、これらを除けば東山道武蔵路が7世紀第4四半期の初めごろに位置付けられるのが最古と思われる。一方、近畿地方の発掘事例は奈良・大阪に集中し、それ以外では京都南部の水垂遺跡、滋賀南部の夕日丘北遺跡で検出されており、築造時期は古く見ても6世紀後半以降のものと考えられる。 近畿地方の道路の設置時期には、種々の生産域や土地開発の対象地域になったり、交通の拠点などへと地域相を変えていくことが判明しつつあり、それが道路設置に深く関わっているように思われる。 5月には公開シンポジウム「畿内の都城と大道-難波大道の発掘は何を語るか-」を大阪歴史博物館で開催し、孝徳朝と判断される築造時期をめぐって議論を行い、近畿における計画道路の発達過程を示す資料として意義づけられた。また、12月に韓国大邱博物館で開催された国際シンポジウム「古代嶺南と大阪の出会い-道路・土器・鐵器-」において、日本の初期計画道路について発表し、討論を通じて相互の資料の共通性と差異が明らかになった。計画道路における日韓関係の研究は今後の課題であり、初期の計画道路研究がその嚆矢となるだろう。 これまでの研究から初期計画道路の考察で注目すべき視点は、交通におけるソフトインフラの発達や整備であると考える。ハードとしての道路以外に、馬や車両をはじめ関連する考古資料の分析から道路敷設の意義を解明し、直線的で大規模な官道を全国に設置するという日本の地方経営政策の特質が解明されるのではないかと考える。
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