今年度は、5月25日に日本考古学協会総会にて、これまでの研究成果の発表を行った。 また、12月にはイタリアからオランダへと伝わったマジョリカ伝播ルートのうち、カトリック2大ルートの一つであるスペインのマジョリカの状況を調べるために現地に赴いた。スペインは当時のオランダの宗主国でもある。 今回はマドリード国立装飾美術館とバレンシア国立陶芸博物館、(財)バレンシア研究機構Don Juan(マドリード)の3研究機関を訪問し、各機関が所蔵・保管するスペインのマジョリカを大坂出土品と実物比較した。あわせてスペイン・マジョリカの歴史的変遷とその背景について情報収集した。16-17世紀のスペインのマジョリカ窯は、マニセスとタラベラ・デ・ラ・レイナの2窯がほぼ寡占状態であった。とくにトレドからマドリードに遷都し、大航海時代が展開するころには、タラベラ・デ・ラ・レイナがほぼ独占状態であった。そこで、各研究機関にはタラベラ・デ・ラ・レイナの製品を中心に、スペインで最も一般的なマジョリカを見せてもらった。 結果、スペインのマジョリカは、常にイタリアやイスラム圏からの影響で製作されていて、foglie文も、ほぼ同時期にイタリアのそれを写したものであり、スペインオリジナルのものはないことがわかった。また、アルバレルロの形態も、16世紀以降は胴部のくびれた細長いものが主流で、15世紀までのイスラム陶器が多く輸入された時期にしか、寸胴形の壺は主流とはなっていない。したがって、スペイン・マジョリカには大坂出土品の源流となる要素はないことがわかった。 つまり、イタリアからフランスを経由してベルギー・オランダに至るカトリックの主幹ルートの中に、大坂出土品の源流があると考えたほうが、蓋然性が高い。 しかし、スペイン-オランダ間に行き来がなかったというわけではない。バレンシア国際陶芸博物館所蔵品の、吹墨手法のアルバレルロは、スペイン発祥の地模様で、17世紀以降、19世紀までスペイン全土で通有に見られる。日本にも輸入品(根津美術館の『阿蘭陀』展の図録に掲載)がある。おそらくはオランダ連合東インド会社が調達した舶載品であろう。 このように、今回の調査でfoglie文マジョリカ・アルバレルロの想定される伝播ルートの一つを消去することができた。また、オランダ連合東インド会社はイタリア・スペインに情報網を持っていて、そこにどんなマジョリカがあるのかを認識しており、より選択的に調達し、輸出したのではないかと推定されるに至った。
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